問題点がずれている。
これは障害があるとか持つとか読者に対する配慮を求める話ではない。読んだ人間が誰も不愉快にならずに済むような書き方はない。そんなものは何も言っていないと同じだ。問題点はひとえに19の作者がハンデなどという中途半端に配慮した表現を選んだ点にある。どのような考えを持とうとそれを表現するのは構わないし、読んで違うと考えた人があれば批判を受けるだけだ。しかし批判も共感もそれを正確に表現した上でのことだろう。
ハンデなどと書かず足が立たないとか目が見えないとか首から上がないとか書いてあれば、読者は足が立たないのよ目が見えないのは優しい理由にはならない、首から上がないならそれはやさしいだろう、と判断できる。頭がなければ意地悪なことも考えられない。猿の惑星に生まれた人間の個だったら、大変なハンデではあっても人間は猿より残虐ではあってもやさしくはなかろう。寝たきりの植物人間ならば、消極的な意味でしかやさしくはあるまい。あるいは単に親ばかで、やさしくもないハンデのある子をやさしいと思い込んでいるだけかもしれない。とんでもない性悪な正確な相手を愛していると思って結婚するなんてよくある話だ。
或いは、アポリネールの短編にそんなのがあったが、その子は死んでいて、双方納得して茶番を演じているのか。存在しないというのは、結婚相手として相当なハンデだ。
ただこの書き方ではそのどれかがほのめかされているとも読めず、「ハンデがあるから優しい」というハンディキャップに対する偏見を助長するような考えはけしからんと非難されるのは仕方ない、というか当然でしょう。
その種の問題を取り上げるべきかどうかと言うより、元ネタがある場合には元ネタを知らない読者にわかるように書くのが最低限必要だろうと思う次第。
なんて500文字の心臓掲示板にコピペしようと思ったがやめた。
急いで書いたから言葉遣いが乱暴だし、作者が既に出てきているのに、叩くようで嫌だし、この期に及んで失礼だ。
でもせっかく時間をかけて考えたのだからしばらく貼っておこう。
しかしホント。
不用意な一般化は危険だな。特に小説では。個人攻撃や罵倒と取られても個別具体的に扱うべきだろう。すぐに男は、女は、日本人は、と一般化しないように。具体的にこれこれではなくハンデと言ってしまうのは、ヒトラーがユダヤ人資本家の誰それを非難する代わりに、ユダヤ人一般から非アーリア人まで一般化の範囲を広げていったのと同じ轍を踏む事になる。あるいは孫正義のやり方が汚い→在日韓国人が汚い→朝鮮人悪いと拡大解釈してゆくやり方と。自戒を込めて。