2007年12月28日

百年の教室 -夢幻劇‐ (吸血鬼掌編 1)

「器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑す、これを付喪神と号すといへり」『付喪神記』
「吸血鬼が眼醒めるとき……」『手記』ヘルシング教授
「さあ、くちづけを」『眠りの森の美女』

ハーモニカ (奏でる)
 彼女の息が
 僕の唇を鳴らす

 彼女が息を吸うと
 晴れた日の
 遠い海嘯が聞こえる

 彼女が僕を吹くと
 かぐわしい
 濡れた若葉の匂いがする

 ふたりの恋が松脂のように苦いのは
 いつか僕らが琥珀になって
 ひとつの思い出を閉じ込めるから

   中学校の教室。多数の机、椅子。黒板。

少女 (机に突っ伏したまま。眠っている)

少年 (ハーモニカを妬んで隠してしまう)

少女 (目覚める)
 わたしの唇にふれたのはそよ風だったのかしら。
 何かがさわって、目が醒めた。
 でも、なんか、へん。
 鉄の味……いいえ。若い血の味がする……

少年 (恥ずかしそうに俯いてしまう)

   ガチャンとガラスの割れる音。
   ハーモニカが窓から飛び降りたのだ。


 

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不埒な美女 (吸血鬼掌編 2)

 美人だって言われるのは、私のせいじゃないです。努力してなったわけではないですから。人並み以上のものなんてない。 好きだと言ってくださるのは嬉しいですけど、ごめんなさい。こちらにはそんなつもりはありません。誤解させたのならば謝ります。私が見た?  どんな目つきをしてあなたを見たのか知りませんが、特別な気持ちは……誘惑って、そんなこと、するわけないじゃないですか。
 ああ、だめ。こんな言い方では逆上するだろう。女は鏡の中の自分の顔をじっと見つめ直して、考えた。
 やっぱり、この顔でいくら言っても無理よ。私が私でなくなれば、つきまとわれることもなくなる。お高くとまっているわけではない。 客観的に見ても美人だから困るのだ。プラチナとステンレスの区別がつかない男は、私に出会うとたちまち、 自分のために用意された特別な美女だと思い込む。
 じっと手を見る。女は爪が醜く変形していることに気がついた。猛禽の爪のように鋭く尖って、内側に湾曲し、 黒く変色したキチン質は肥大して、凸凹と波打ちながら肉に食い込み、指先を濁ったピンクから鼠色に変えている。 ネイルサロンでしくじったわけではない。爪母細胞がこの瞬間に彫り上げた呪文・それは異界の文字だった。
 悪魔の爪だわ。悪魔の爪の力があれば私はどんな男よりも強い力を持てる。何でもできるだろう。 これで言い寄る男たちの咽仏をひきちぎれというの?
 違うわ。女は鏡の中に手を伸ばし、映った自分の顔をベリベリと毟り取った。
 こうしてしまえば、私は誰でもない。理由のない美しさが我儘で鈍重な男たちを惑わすこともない。
 私の顔は誰にも見えない。だから誰も私のことがわからないだろう。
 誰も私を見ないから、もう何も怖くない。
 女は闇になって世界に取り憑いた。

 

 

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前兆 (吸血鬼掌編 3)

 どの空よりも濃い青色をした汲み取り車が古い旅館の前に止っている。作業員が裏手からホースを回して、ポンプが動き、 切妻屋根が落とす影の中、車体が低く唸り顫えはじめると、それまでは微かに鼻をつくだけだったのが嘘のように、 芬々と強烈な屎尿の臭気が立ち昇る。息を止めてももう遅い。ここは窪地で逃げ場はない。 勢いよく噴きだす臭いが緑に囲まれたコーヒーカップを満たすまでの数分間。物皆が動きを止め、残り少ない息を肺の中に溜め込んで、 最後の瞬間を待つ。カラスが濃厚な異臭密度に翼をとられ、空でもがいた。 駐車場でアイドリング中の車は排気管を塞がれて排ガスを内部に逆流させる。ゴボゴボと浄化槽の空洞を鳴らす破裂音。 繁盛しているとは言えないが、決して少なくはない過去数ヶ月の宿泊客の排泄物が掻き回され、泡立ち、記憶と分解しきれない有機物、 存在の痕跡と未生の存在を混ぜ合わせ、濃硫酸のように感覚を焼く予感と共に、混沌とした臭気が溢れ出し、残り少ない空気を侵食する。 息が詰まり、世界は遠ざかる。
 気がつくと汲み取り車はいなかった。屎尿の臭いもわずかに漂うのが感じられるだけだ。
 だがそれを見た記憶が、薄れることはない。今もなお、脳髄のどこかに小さな凝《しこ》りが潜んでどくどくと脈打っている。 それは永遠の一秒手前で止った時計の針の下、 今しも腹の中に充満するすべてのものを吐き出そうとする肛門のようにぶるぶると震えるもう一つの地球、 沈む日の最後の光を浴びて青い車体を不気味にギラつかせ、いつまでも消えない臭いを放ち続ける汲み取り車とそっくりな、 いつ破裂してもおかしくない真っ青な動脈瘤だ。
 いつか、汲み取り車は人類のすべての血を吸い取って排泄物に変え、芬々たる臭気を放ちながら、人間の色をぶちまけるだろう。 地上を覆い尽くすのだ。貴方も私もその一部に過ぎない、識域下に圧殺して誰もが見ずに済ませてきた終末の地球色を完成するために。

 

 

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邂逅 (吸血鬼掌編 5)

 羽化するに非ず。

 蝶ハ死ンデ人ノ魂トナル。

「だったら桜の花は散って何になるの?」
 満開の桜を見上げながら、美緒が言った。人ごみの中で立ち止まると押し競饅頭になってしまうので、彼は美緒を道の端にひきよせた。
「ほらあれが」
 と健太郎が指さす。たそがれ近い空を背景に蝙蝠が枝先をかすめて飛んだ。
「たぶん美緒さんのお兄さんですよ」
 空では一匹また一匹と蝙蝠が数を増してゆく。中の一匹が偶然、美緒がさしだした掌の中に落ちてきた。 奇妙に歪んだ愛くるしい鼻面を起こすと、いきなり手のひらに咬みついた。「あ」 と声をあげて握りしめた手の中で蝙蝠はごくごくと飲みつづける。
「吸血蝙蝠ですね。大丈夫ですか」
「痛くはないわ」
 いつのまにか大群となった蝙蝠が花見客の頭上で音もなく羽ばたく。一時、強い風が吹き、 桜が散りだすと人々ははじめて蝙蝠の群れに気づいてどよめき、美緒はそっと掌の中の一匹を空中に放してやる。
 そのとき、花びらの渦に逆らうように一斉に腹を向けた一斉に身をひるがえした蝙蝠の腹に透ける血の色を火と見まちがい、誰かが思わず、
「火事だ!」
 と叫んだ。
 人々は出口に向って殺到する。
 あいかわらず空を見上げたまま、美緒は桜の花びらを満面に受けて涙を流した。


 

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吸血鬼と人間 (吸血鬼掌編 6)

 列車が走り出す。海岸から帰る小学生の潮の移り香が充満する車内を耳鳴りのような甲高い音が突き抜けた。 一本の矢に射抜かれた狩りの獲物のように、透明な何かが列車の空間を揺らしてのたうった。僕たちは皆眠っている。
 次の瞬間、我に返って目を開いていたのは僕だけだった。
「おや、君は一人だけ目覚めているんだね」
 と問いかけた一人の少年の他は。
「安心しな。危害を加えるつもりはないよ」
 吸血鬼だ。僕にはすぐわかった。
「僕の見かけが少年なのは、吸血鬼が永遠なる思春期の神だからさ。僕らが血を吸うって? ふふん」と彼は笑った。「僕は人間の、 単に物理的な血ではない、精気を吸う。傷ついた肉体から、狂った精神が自らを引き裂く時の稲妻から、それら有形無形の細胞から、 あふれだすエネルギーを吸収する。
 古より、僕らは人間の行為から無尽蔵の精気を飲んできた。戦場では砕け散る若い肉体が放出する精気を吸い、 ごく僅かしか続いたためしのない平和な時は、眠りの中にしのびこんで夢を味わい、そして幾度となく、歴史上名高い数々の事件、 無辜の者たちの虐殺に酔い痴れたのだ。
 なに、僕ら吸血鬼が自ら手を下す必要なんてないのさ。いつも人間たちが殺してくれる。死にゆく生命からあふれだす血を、精気を、 僕らは飽きるほど飲んできた。人類の歴史上いまだかつて僕らが飢えたことはない。この手を無残な労働で汚したこともない。
 残酷だって? そうなのかな。僕らは無限にちかい移動の自由を持っているだけさ。
 眠っていていいよ。あの子らと同じように。夢の中でも目覚めている君の奇妙な性質を味わってみたいだけなんだ。死にはしないよ。 寿命が尽きるまで、君はまだ生き続けるだろう。他の人間に殺されない限りはね」
 僕は目を閉じた。


 

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(半裂き、あるいは八つ裂きからの)復活 (吸血鬼掌編 7)

 夏の午後。晴天で、日は耐え難いほど熱く、紫外線がじりじりと皮膚を焼き焦がしていた。人家はまばらで、 一方には畑が点在するものの、反対側は延々手入れの行き届かない山林が続くような田舎道だ。私は汗だくだったのにもかかわらず、 急に寒気をおぼえて立ち止まった。すぐ目の前で山林が途切れ、日の当たる空き地ができていた。蔓が絡まり、 こんもりと小山のように盛り上がって、緑濃い無数の葉が重なり合ったその下に、血の滴るように鮮やかな肉色の花が咲いていた。 それは生きた心臓だった。透明な血管でつながっているのか、しかし血の流れるのは少しも見えず、心臓は宙空にぶら下がったまま、 静かに鼓動し続けている。眩しい日差しを直に浴びているのに、さっきから少しも乾いたようには思えない。 むしろ誰かの体内にあった時そのままにみずみずしく、それは間違いなく生きていた。太陽を呑み込んだように口の中が赫っと熱くなった。 「半裂きどころか、八つ裂きにされてもまだ生きる」私の口は知らぬうちに呟いていた――そいつの名前を。 心臓は失われた全体を回復しようと目には見えない触手を伸ばし、私の肉体を搦め獲り、捕らえた以上は決して放すまい。肉体だけではない。 既に透明な血は私自身の内部をめぐり、鼓動は意思を支配した。でなければなぜ、用もないのにこんな場所まで歩いてなんて来るだろう。 もう一度見ると心臓はもうなかった。私は逃げ出した。無駄だとは知りながら、走り出さずにはいられなかった。空から熱風が吹き下ろす。 私は排泄物になったようにびしょ濡れだ。全速力で走り続け道を下ってゆくと人々の声、車の音、喧騒が戻ってくる。それで安心したからなのか、 急に酔いがまわったように、私は車道の中央でよろけた。ショーウィンドウに自分の姿が映っている。 垂直に引き伸ばされた桃色の腸になった私は新たな獲物を求め、ゆるゆると歩みを進めるそいつの肉体の一部、一片の血肉でしかない。

 

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posted by 不狼児 at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 800字ヴァンパイア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする