「町長記」
初代は狩野雷電氏ならむ。以下に記す。氏は抜け目なき人なり。時の権勢に寄生虫(とりいり)しこたま私腹を肥やしける。若くして妻を娶りて、三人の男子をなし残さず里子に出し猫犬(たまゐぬ)。家領に人里を離れし山奥あり。俗世を倦じて隠遁せると。人の噂真にあらず。狩野氏が妻しの女(じょ)、愈々美しく在らむとて光鹿の肉鱈腹喰らひ、喰ひに喰ひ喰ひ飽きて、病みて、あさましくも身の丈八尺百貫に余る大女と成り果つるこそ悲しけれ。起つも坐るもままならず、肉蒲団伏したるままに肥え太り、やがて口腔泡を吹き喘ぎあへぎして云ひしは、我かかるほどに病みたればこの先永らうべうもあらず。末期の希叶へさせ給へ。主人いかなりともとて問はば、妻、生きた童子を喰いたしと。主人悩みつるもしの女が希叶へんとて賤が屋に隠れにけり。密かに幾たりかの童子を捕らへ活かせしままに喰はせ猫犬。血の潮(うしお)乳房に千の川をなし。さわさわと小さき掌足裏散り惑い逃れんとてもむなしく、歯に挟まりし肉のぴいぴいと涼しき音を上げて、葉叢の雀ごと若木一本呑み下せし思い。無残也。およそ十月に百ばかり喰らひ終へて、しの女一命をとりとめぬ。往時予は光灯寺の小僧なれど師に随ひて茅屋を訪い、しの女のあさましき姿見て甚だしき恐懼覚へたり。乳房の脇、腹の外、余りたる肉の十重二十重に折り重なり、首は埋もれて口もえ開かず、尿(いばり)垂れる儘、夥しき汗の落ちぬるは山狗(やまいぬ)の臭気して堪へがたく、打ち乱れたる髪のしとどぬれたるさま、白き肌えに粘りつきからみて肉を抱(いだ)きたるけしき、この世のものならず。世話しつる人もどうようの赤裸汗みずくにて、見ればこの家の主人なり。肌黒く蓬髪長くして髯鍾馗に似たり。肉叢(ししむら)比肩を逞しくして、足短く、衣脱ぎたれば正に狒々(ひひ)なり。主人和尚に云ひけらく、人に告げ給ふことなかれ。此度のこと妻の咎にあらず。我情に応へむ珠の所業なり。人生まれ乍らに病めり。我ら唯生来の病の時を得て妄を払うに至らざるなり。二度日の目をみること能わず。この地を終の栖と成さん。しかれどもかくの如き化生、世には他にも多かるべし。師曰く、性残虐なりとて放擲せば怠惰なるものを長じて咎人たりしは、良く成れ、育て、盛んなれ、とおせっかいなる善き導きの弊害なり。無為より外の悟りなし。生殺与奪は神の御わざにてあらん。耳には師の称ずる念仏のみ聞こえて、春の雪のとけて泥にまみゆるを、蛇の骸(むくろ)うち捨てられたる心地して吐気をぞ覚ゆ。
(不狼児)
「禁猟区の蜜月」 (不狼児)