2010年09月28日

超短編の世界3、なんだけど

えーっ。超短編の締切りって、通常一週間は余裕があるんじゃなかったの? 時代は変わったな。締切り告知知らないで今朝出しちゃったけどさ。だって締め切過ぎないと新作書き上がらないんだもん。まあいいや。

応募作を選んでら同工異曲だったんで、これを外しあっちを入れて、やっぱり新作出さないと始まらんな。というわけで書き始める。日付が変わる頃になると調子が出てくる。
こういう時こそ、未完成のまま放置されていた無数の作品が一挙に完成させられるものだが、あっちこっちに書き散らかしたせいか行方不明のもの多数。
探しつつ、選びつつ、同時に思いついた二つのことを忘れないうちに半行ずつ交互に書き記す。
というわけで十数篇の超短編を次から次へ、飛び移りながら書き進めると、完成する前に締め切りは過ぎる。

ワンパターンなのは仕方がない。面白いと感じるものはごく限られている。一人の人間がやることだし。ワンパターンから脱出しようとして駄目になった作者は数えきれない、と考えて自分を慰める。取材して、調査しても、興味がわかなければ無味乾燥なものしかできないし、そもそも能力的な問題で不可能なことが多すぎる。

にしてもネタが被っている。新作も、選んだやつも、構造が同じだ。
特に一行超短編は、自分の知らないことを書かなければならないので難しい。知っていることを約めて書いたのではただのひねりの効いた一句になってしまう。
文章はますます混沌として、混沌どうし似通ってくる。コスモスよりはカオスが好みなのでそれはいいんだけど、全くもって選びづらい。

選ぶとは世界を構築することだ。ところが僕は当て所なく世界をさまようのが好きなのだ。国境を定め、王国を打ち立てる気なんてさらさらない(考え方は人それぞれ、色々あるだろうが、間違いなく、最悪なのは自己顕示欲を発揮することだ。この期に及んで自己の世界を表現されては退屈でやりきれない)。

やっぱり送らなかったグループの方がまだましだった気がしないでもない。どっちにしても締め切り過ぎてるんで……



posted by 不狼児 at 22:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月16日

村上隆 in ベルサイユ

村上隆の作品がベルサイユ宮殿に展示されるというので、抗議のデモがあったらしいが、感覚的にはそれが正常だ。
村上隆の作品は間違いなくゴミだ。というか、ゴミであることに意味がある。それはゴミでなければならないのだ。
村上隆の芸術とはゴミを高く売りつけるウォーホルの方法をさらに発展させて、マイクロソフトのように企業化し、より低劣なゴミクズをより高額でコレクターや美術館に売りつけ、そんなものを有難がる人々を密かに笑い、ご高説を垂れる批評家や学芸員を嘲弄すること、ヴィトンとコラボレーションしてバッグを作りそれをぶら下げて帰国した中田英寿を猿回しの猿に見せること。
パフォーマンスとしては以後も自己のアートをより高級品ぶって崇めさせ、より高額で売りつける必要があるので本人は決して認めないだろうが、事実はそうだ。
企業や国家が搾取した金をみすみす溝に捨てさせ、セレブの肛門に人参を突っ込んで踊らせる。虚空に馬鹿笑いを響かせるのがその芸術の真髄だ。
作品を評価するすべての人間を嘲り笑い、画集を買うスノッブやベルサイユの展覧会に感心してやまない貧乏人も含めて、裸の王様以上の醜態を演じさせること。
となると気取れば気取るほど滑稽なわけで、村上隆はこれからも、広告代理店で働く人間の低劣で卑小な人間性を自らカリカチュアライズして演じつつ、貪欲に利益を求め、経済活動を侵食し、ルーブルのガラスのピラミッドの天辺に脱糞して垂れた滴を集まった観客に舐めとらせて金を取るような芸当を続けて、ほくそ笑むに違いない。賞賛も非難も本人にとっては得たりとばかりで、宜しいんではなかろうか。
posted by 不狼児 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月10日

出さねば!

おっ、『超短編の世界3』の作品募集だよ。

いいもの、って言われると腰が引けるけど、ま、いいか。僕の担当は「変なもの」なので。
アンソロジーにはスパイスも必要ですよ。なんて今から売り込みを掛けてみたり。
posted by 不狼児 at 19:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする