昔おとこありけり。女のえうまじかりけるを、としをへてよばひわたりけるを、からうじてぬすみいでゝ、いとくらきにきけり。
あくた河といふかはをゐていきければ、くさのうへにをきたりけるつゆを、かれはなにぞとなむおとこにとひける。ゆくさきおほく、
夜もふけにければ、おにある所ともしらで、神さへいといみじうなり、あめもいたうふりければ、あばらなるくらに、女をばおくにをしいれて、
おとこ、ゆみ、やなぐひをおひて、とぐちにをり。はや夜もあけなむと思つゝゐたりけるに、おにはやひとくちにくひてけり。
あなやといひけれど、神なるさはぎにえきかざりけり。やうやう夜もあけゆくに、見ればゐてこし女もなし。あしずりをしてなけどもかひなし。
しらたまかなにぞと人のとひし時つゆとこたへてきえなましものを
『伊勢物語』第六段。
美しさと、恐ろしさと、儚さが、簡潔に表現された傑作。これ以上はない。
たいていのテキストでは以下の部分が続くが明らかに蛇足。
これは、二条のきさきの、いとこの女御の御もとに、つかうまつるやうにてゐたまへりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、
ぬすみておひていでたりけるを、御せうとほりかはのおとゞ、たらうくにつねの大納言、まだ下らうにて内へまいりたまふに、
いみじうなく人あるをきゝつけて、とゞめてとりかへしたまうてけり。それをかくおにとはいふなり。まだいとわかうて、
きさきのたゞにおはしましける時とや。
ゴシップ好きの芸能レポーターみたいな人間が付け加えたのだろう。
だから実質400字。
鬼が、と書いて余計な描写を加えずリアリティを感じさせなければ、この話は成立しない。現在でも十分にそのリアリティは感じられるが、
ただし翻訳しない限りにおいてであって、この言葉以外の組み合わせでは鬼と露のように儚く消える命と愛しい者を失った悲しみは実感できない。
無駄な追記を本文もどきに組み込まずにはいられなかったことからしても、当時ですら、人々が既に鬼の実質を感じとれなくなっていたことは、
あきらかだ。
昔も今も鬼はこの400字の中にしか、生きてはいないのだ。