2009年06月07日

てのひら怪談 己丑

「てのひら怪談 己丑」の献本が到着。

 03120001

加門七海「己丑の託宣」がかっこいい。
白熱する疾走感。これを読むだけでも価値がある。
「眼は未開の状態にある。地上三十メートルにある驚異も、海中三十メートルに潜む驚異も、 すべてを虹色に分解する獰猛な眼差し以外の目撃者を持たない」とか、「埃でいっぱいの道、未来の交差点で、以後、 われわれにとって価値ある創造物は客観的偶然の白いスフィンクスと客観的ユーモアの黒いスフィンクスの出会いから生まれることになるだろう」 とか。この手の文章は見得を切らないとね。
日和っていたのでは何も始まらない。

これは語釈に見せかけた召還呪文だろう。より強力な魔物を呼び出そうとしている、そうたとえ世界が壊れようと、だ。 怪談が呼ぶ些細な恐怖や小さな異変の数々、人が死んでも数えられるほどの、お岩さんの崇りのようなちんけな内輪の凶事ではなく、 善でも悪でもないもっと強大な変革の力。激変を惹き起こす魔の発動。それを男性陣が三人がかりで懸命に押しとどめている、 といった本の造りになっている。

そもそも「語られたもの」なんて無事で済んだ奴がいるって訳だからたいした怪異ではない。
読んで易々と日常生活へ帰還出来るようなお話は、フィクションだろうと、実話だろうと相手にすしている場合ではないのだ。

”正男(ジョンナム)雲に乗る”の結末がキノコ雲だったとしてもかまわないではないか。

「人生を変えることと世界を変えることは今や唯一つの行為だ」

たとえ誰一人幸せにならなくても、世界がこのまま存在し続けるよりはましと思う人間は、この本を読んで、全く新しい怪談を書くがよろしい。

ちょうどビーケーワン怪談大賞も始まっている。

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posted by 不狼児 at 08:54| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月24日

ノベルなび 超短篇による京都案内

先日『500文字の心臓』で募集していた「iPhoneを使った超短篇による京都案内企画」に投稿していた超短編が、 どうやら採用された模様。
ブログ開設とか、ログインして投稿とか、ビジネスモデルとか、メールの連絡事項はイマイチよくわからんのですが、 とりあえず作品は京都フラワーツーリズムのHP、花なびの隣に「ノベルなび」として正式に公開されております。

もちろん無料で、森山東さんの作品も読めます。
瀧川典子さんは、タキガワさんだよね、やっぱり。

拙作のタイトルは『義経異聞』で、ジャンル分けはSFとなっておりますが、そこら辺は追求しないように。

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posted by 不狼児 at 22:07| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月06日

夢その102

見事に墨で描かれたリアルな鯉の画像が大空に浮かびあがる。


超短編は河原や海岸に落ちているただの拾って投げたくなるような小石が理想だ。投げられた小石と一緒に精神が飛ばなければ面白くない。

残念ながら文章と同時に見る夢しか記憶には残らない。見ている端から言葉に置き換えていかないと。それでも夢の大半は消え失せる。
文章化された作品も同じようなものだ。いつも残り滓のような味気なさが漂う。
だが、言いたいのはそんなことじゃない。

もっと頭がよけりゃねー。残念だ。
三十秒で思いついたことを文章にすると二時間は優にかかるし、その上思考は網の目状に広がるのに文章は直線的で、 避けられない言い落しが余計に脈絡を失わせる。何もかも中途半端で…

posted by 不狼児 at 22:41| Comment(1) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月05日

こどもの日

そう言えば児童文学ってほとんど読んだことがないなあ。絵本ときたら見た記憶すらない。
絵本て、何かデフォが吹き替えの洋画DVDと同じくらい、バカにされている気がする。最初から人を低脳扱いしていると言うか。 子供心に見くびられているのがありありと感じられて不愉快だった。

絵本を見るくらいだったら漫画を読んでいた。
小学生の頃は作り話があまり好きじゃなかったので本は科学物かノンフィクションばかり選んだ。ノンフィクションたって、アトランティスとか、 バミューダとか、そういういかがわしいのが大半だったけど。要は事実ですよというフォーマットが必要だった。 宇宙論や進化論だってどうせ嘘話だし。

児童文学は昔から人を苛む話ばかりでしょ。
「ハイジ」でも「母を訪ねて三千里」でも、何であんな嫌な話をわざわざ読まなければならないのか理解できない。日本製のはもっと情緒的で、 嫌さ倍増な感じ。だからフィクションを読む時は「少年探偵団」とか「ルパン」とか「八犬伝」とか「ガリバー旅行記」や「ロビンソン漂流記」 などの健全な奴しか読まなかった。

児童文学を読んで苛めることを覚えるのじゃないかと思ったくらいだ。だって読んで知るとか、誰かに教えられなきゃ、 他人を苛めようなんて普通は考えもつかないだろう。

本もそうだけど、名作アニメとか、どうして好き好んで見るのか、なんとか頭で理解しようとするが、どうしても実感できない。
「フランダースの犬」を見て本気で泣いて、しかも、良かった、と言って感動するなんてねー。良かーねーだろ。怒れよ。 ひたすら鬱陶しいだけじゃん。

子供に人間ドラマなんて与えるから、大人になってから修羅場を作りたがるじゃないの?

「少年探偵団」を読んで育ったら、少なくとも不正な社会に加担する気にはならないと思うんだけど。

posted by 不狼児 at 23:06| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月25日

バーニング・ラブ(タイトルは本文と無関係です)

AVG Freeeditionを8.5にヴァージョンアップしたらPCの起動に5分以上もかかかるようになってしまった。 面倒くさくてかなわない。更新意欲も失せた。

という訳で10日分まとめてアップ。不適切な言葉も慎重に削除した。

しかし起動完了した時点で測るとCPU温度が76.5℃だもんな。シャットダウン寸前だ。 夏場になったら起動しただけで即死しかねない。
どうすりゃいいんだ?

次回タイトルは「センチメンタル・ジャーニー」の予定。内容はGoogleブック検索の和解についてのご案内が来ましたよ、 っていう話。


 

posted by 不狼児 at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夢その101

結膜炎の女。妖花イバーカ。

多くの「怖い怪談」が取り憑くものであるのに、怖くないこっちの話はむしろ取り憑いているものがあったら無理やり引き剥がして、 ポイと捨てちゃうようなものだから、構造が違うんだ、とかなんとか。

寝る前に「人はなぜ恐怖を感じるのか」という展覧会(日本科学未来館、って! 何かとんでもないネーミングのセンスのような) の紹介ニュースを見たからだろう。
笑止! 心霊写真でも壁の染みでも「人の顔に見える」のと、それに「恐怖を感じる」のは全く別の問題だろう。 何でも人の顔に見えがちだからって心霊写真を恐れる理由にはならない。人が恐怖を感じるのは危険なものに近づかないためだろうが、 怖がろうとする意思がなければ心霊写真に恐怖を感じることはできない。その意思は女王様に踏まれたいとか、 公衆の面前で辱められたいとかいうマゾヒスティックな欲望の偽装だろう。怪談会はSM社交場。女王様のボンデージファッションと同じように、 髭面のオヤジも必須のスタイルなのだろう。
みんなの見ている前で、裸で殺される。あるいは誰も知らないところで溝水に頭を押し込まれて死ぬ。
だいたい恐怖が危険を感じて遠ざけるだけのものだったら、わざわざお化け屋敷に悲鳴をあげに来る必要なんてないからな。
人は恐怖の中で社会性と共に自己も失う。
実際に殺されはしないが死の感覚を味わうために、怪談話に震え、心霊写真を貪るのだ。

この手の展覧会がお化け屋敷よりもつまんねーのは疑似科学的な啓蒙が欲望に応えないから。
科学を売りにする奴に限って説明が非科学的なのは、プロフェッショナルを自称する奴に限って能力がお粗末なのと似ている。
解体のバラードがヤクザの手から取り戻されず、…とかなんとか。
夢の中の論旨なんで、グダグダで、憶えちゃいない。


 

posted by 不狼児 at 21:29| Comment(1) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夢その100

河口に架かる鉄橋。目の前に広がる黒海(だと思うが、行ったことがないのでわからない)。物凄い速度で走る列車。速度を上げる客船。 窓は開いている。乗客は金持ちの外国人がちらほら。自分が乗っているのが列車の方なのか、客船の方なのかはわからない。はるか下には、 川面に浮ぶ地元の渡し舟。夕陽を浴びた人々の顔が見える。風が顔に当たる。何かとても残念な話を聞く。


 

posted by 不狼児 at 21:27 | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メリーは首だけ(タイトルは本文と無関係です)

ファブリーズをまくとバカになる。脳の血行が著しく悪化する感じ。ボケが増えるな、これは。第一臭いは消えてないだろ。 鼻がバカになっているだけだ。
言葉は友達じゃない。いつも書く時には主に闘争心を使うので、消臭剤だけじゃなく酒、タバコ、ゲームなど闘争心を鈍らすものは苦手だ。
感覚が鈍ると戦う気がなくなる。タバコとか焼肉とかバルサン、線香、焚き火、何でも煙の出るものが嫌いなのはそのせいだ。

旦那が帰ってくるとファブリーズを振りかける奥さんは、旦那を腑抜けた無害な豚にしたいんだろう。匂いのせいじゃない。
自分だって相当な腐敗臭を放っているのだから。
まあ旦那がうんこ臭くて腐敗臭を合わさったら相乗効果でとてつもなく匂いだすから、臭がるのもわからないではない。 ご自分の匂いを改めて嗅がされるから、自己嫌悪を旦那に投影するのだろう。
かくして無害化され家畜化された腑抜けな言葉が世間に充満することになる。

それはもう発するものの即死を願わずにはいられない痴呆症の戯言だ。

ピエール瀧は悪意なく人類を堕落させる一般人の象徴である。泉ピン子だったら出たとたんに誰もが感じる不快感で、 北島三郎かつての実力を失った名ばかりの大御所としての空疎さがコマーシャルメッセージの伝達を妨げるし、 好感度の高いタレントの場合は自分の魅力をアッピールするだけで、 メッセージはおとなしくタレントのイメージに便乗するしか自らを訴えるすべはない。 しかしピエール瀧は平々凡々たる善人性が視聴者にダイレクトにメッセージを届けるのでとても危険だ。

いずれにしても、犬を抱えた女なんかにとやかく言われる筋合いはない。

posted by 不狼児 at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

納得できない その2

考えてみれば納得するとかしないとか、できるとかできないとかいう心理の紆余曲折が小説的展開の元なのだろうが、僕には無縁だ。
小説の楽しみは一に比喩、二に風景描写、三四がなくて五にイマジネーション。
本当は運動性(切断と飛躍)が最重要なのだが、備えているものはほとんど見かけないのでここでは除外。

ストーリーテーリングは読みやすさという点では実用的な機能だが、わざわざそのために本を読みたいとは思わない。
じゃあどんな本が書きたい、読みたいのか。

鏤められた比喩ももちろんだが、作品自体が暗喩、何か他の物の影であるようなものでなければ面白くない。
小説のクライマックスは一個の風景だと思う。
イマジネーションは最低限必須のエンジンだろう。

そんな感じ。
良し悪しは作品個別の問題なので、一般論で話してもしょうがないけど。

posted by 不狼児 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夢その99

どこまでも続く入り組んだ狭い路地。人が一人やっと通れるか通れないかくらい。東京の下町よりもっと細く、奥深く、複雑に続いている。
路面は舗装されていない。砂利道だ。そんな狭い路地で子供たちがサッカーボールを蹴っている。
金網や割れた板塀の間から、生い茂った草や枝が路地にはみ出し、百花繚乱、赤や黄や白や青、色とりどりの花を咲かせている。緑は濃い。 花は芳しい。
さらに人気のない路地の奥。花々をかきわけて進むと、行きつけの古本屋がある。
十年来の馴染みだが客は自分一人だけなので、今日で店を畳もうとしている。
持ち金で何冊か買おうとするが、選べない。

 

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posted by 不狼児 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする